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春の巻 第五十二帖

まことの光の道に行き、進めよ。
ここぞと見極めたら、理解に向つてひたすらに進まねばならん。
理窟いらん。

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春の巻 第二十五帖

局部的に見るから判らんのぢや。
文字書くのは心であるが、心は見えん、手が見へるのぢや。
手見るはまだよい方ぢや。筆の先だけしか見えん。
筆が文字書いていると申すのが、今の人民の考へ方ぢや。
筆が一番偉いと思ふて御座るのぢや。
信仰に入つた始はよいが、途中から判らなくなるのぢや。
そこが大切ぞ。

春の巻 第三十三帖

今の科学は科学のことは判るがそれより上のことは判らん。
今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢや。
よい求めにはよい感応、よい感応にはよい働き、よい理解となり、よい生活生れる。
間違つた求めには間違つた神、間違つた生活生れるぞ。道理ぢやナア。
窮屈であつてはならん。しかつめらしく固くなつてゐてはならんぞ。
笑ひの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのぢや。
宿命は宿されたもの。一つのワクに入つてゐるのであるぞ。
運命は自分で切りひらくこと出来るぞ。
磨け磨け、ミタマ磨き結構。信念だけでは行詰るぞ。

春の巻 第五十帖

その人によつてふさわしい行がある。
誰でも同じでない。
一合食べる人もあれば一升食べる人もあるぞ。
身につかんもの、身につかん行は、いくらしても何もならん。
いらん苦労はいらんと申してあろう。
風呂には時々入るが、魂の風呂に行く人少いぞ。
より高い聖所へ参りて魂のアカ落せよ。
神示よんで落して下されよ。
アカ落さずに神の光見えんと申して、おかげないと、
われよし申して御座るなれど、風呂に入らずに、
アカつくとは怪しからんと申すのと同じでないか。
何故に判らんのぢや。

春の巻 第三十帖

宇宙のすべてがつながりであるぞ。
石でも水でも草でも木でも動物でもすべてがつながりぢや。
手と頭のようなもんぢや。拝み合へよ。親しみ合へよ。
和せよ。和すと自分となるのぢやぞ。
自分大きく、明るくなるのぢや。豊かにうれしれしぢや。